部族主義と個人主義

部族主義と個人主義の人がいる。部族主義の人は部族を作りたがる。この人たちはコミュニケーションを部族を作る手段として活用している。同じ部族に迎え入れることのできる人なのか、違う部族の人なのか(しばしば敵認定される)を見分けて同じ部族の人たちだけで固まろうとする。

個人主義の人はコミュニケーションを情報の伝達、自分の考えを相手に伝えるために活用する。他者は自分とは違う別の独立した人格の持ち主だと考える。

両者はコミュニケーションの活用方法が違うため、両者が出会いコミュニケーションをすると食い違い、齟齬が生まれる。両者は自分たちのコミュニケーションの活用方法が違っているということをそもそも気づいていない。

ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」という本がある。ハリスはこの本の中で集団社会化説という理論について書いている。 人が自分は何のグループ(アメリカ人とか人種とか男とか学生とか・・)であるかを決めるのは、数ある社会的カテゴリーの中で、そのひとつが他と比較してサリエント(顕著)だから。サリエントとは際立つこと、目立つこと。自分がある社会的カテゴリーの中である特定のカテゴリーの一員だとみなしたら、そうみなした集団が自分に影響を及ぼす。構成員は積極的にこの集団から社会的比較や行動の規範、価値観を身に付け、それに基づき適切な振る舞いや態度に関するルールや規準、考え方を学ぶ。

部族主義の人の行動様式が説明されていて、そもそもたいていの人には部族を作る習性があるのだろう。

個人主義の人というのが人の中で例外的な存在であるようだ。実際回りの人を見ても、部族主義の人たちのほうが多い気がする。ところで部族主義的であるか個人主義的であるかというのは自分で自由に選択できるものというより、性格のようにある程度どっちの傾向が強いのかという特徴が備わって生まれてくる?ような気がする。