火垂るの墓について

火垂るの墓という物語がある。火垂るの墓の主人公が厄介者扱いされるからといって親戚の家を出るという無謀な行動をとったことを非難する意見がある。我慢して親戚の家にいえば主人公たちは死なないですんだのだから愚かな行動だという意見である。それでも…

何か行動していればフリーライダーに見えない

人はフリーライダーだと思われることを避けたい。そのためには何らかの行動をしていればよい。行動をしている人はフリーライダーだと思われなくて済む。何もしていない人とフリーライダーの見分けはつかない。だからフリーライダーだと思われたくないという…

SNSの魅力

SNSの魅力は自分の発言で人に影響力を与えることができることに対する心理的満足感である。まわりの人に影響力を与えることは自分の生存を有利にできることにつながる。しかしこれはあくまで自分が実際交流のある人たちに囲まれて暮らしている実際の共同体の…

SNSからキャンセルされると不幸せになるのか幸せになるのか

誰かがSNSのIDを凍結される嫌がらせを受けてSNSができなくなると、その人はその後不幸せになるのか幸せになるのか。 もしその人がSNSができなくなることでリアルな人間関係にちゃんと向き合ってそこで人間関係を深めることができるようになるのならば、その…

人口減少が問題?

人口減少が問題ではないのではないのか。すでに増えてしまった今の人口の分の食い扶持を維持することが難しくなっていると考えるようになっていることが問題なのである。すでにいる人口の生存が維持できないと内心思っているので人口を増やす気にはなれない…

人はなぜ争うのか

人はなぜ争うのか。それは争っている間は誰が自分の味方で誰が敵なのかが明確になるからだろう。誰かと争いを始めれば、自分の周囲にいる人の誰が自分に味方をしてくれるのか、誰が敵側につくのかが明確になる。自分の味方が誰であるかが可視化されると安心…

責任を負うことのメリット

責任を負う行為をする人がいないという問題がある。なぜなら責任を負うことをしても何もメリットがないから。メリットがないどころか責任を負う立場になったら周りの人たちから責められるだけであるからだ。しかしメリットはある。責任を負う立場という面倒…

協力してやるべきことがあるときに仲間ができる

仲間だと思える人たちと仲間だと思えない人たちがいるわけではない。協力してやるべき課題を見出した時に協力者を集め、協力活動をしている最中に仲間だと思える人たちが自然にできあがるのだ。つまり仲間を手に入れるためには協力してやるべき課題を見出す…

人は身内集団内でどうふるまう方がよいかということしかわからない

人は古い時代において身内集団を作って暮らしてきた。だから身内集団内でどうふるまう方がよいかということしかわからない。だから身内の人間が間違いを起こしてもかばいだてをする。そして自分たちの共同体が正しいのだと主張する。またマウンティングをし…

SNSでトラブルが起こる理由

人が日常でする会話は基本的に顔見知りの人たちの間で交わされる。顔見知りというのはどういうことかというとある程度の期間付き合いがある相手であり、この人はこういう人だということがわかっている相手である。だから話す内容+それを話すのはAさん+Aさん…

国家は気に入らないかもしれないがほかの共同体よりまし

人が生まれ落ちた時にすでに国家という体制がある。しかし国家は居心地が悪い。なぜか気に入らない。その理由はおそらく自分が選んだわけでもない人たち、場合によっては気に食わない人たち、あるいは嫌いな人たちと勝手に同じ共同体の一員としてチームを組…

必要なのは欲望を修正すること

よりよい状態で生きるには欲望を修正することが必要である。たいてい人は漠然と実現しそうにないことを欲望している。たとえば、何もしないで幸運が転がり込まないかなというような都合の良いことを考えている。その場合、自分がどのような状態だったら幸せ…

弱い側は敵と戦わずに降伏することを選ぶ

弱い側は敵が攻めてきたら戦わずに降伏するまたは逃げることを選ぶ。なぜならば弱い立場にいる人は少人数の同じような弱い立場の人たちと共同体をつくり、その中で協力してぎりぎりの状態で生きている。だから余力がない。戦うには資源がいる。資源を多く持…

協力する機会の喪失

何人かで集まって協力して何かをやり遂げるための機会がないのが問題なのである。協力して何かをやり遂げることができたという精神的な満足感を満たす機会がない。だからなんだか生きていてもむなしい。集まって協力して何かをやり遂げる機会がある人もいる…

人間に自由意志はあるのか

人間に自由意志はあるのか。おそらくあるにはあるのだろう。ただし人の自由意志は非常にはかなく脆い弱いものなので、その人が党派性に飲み込まれているような状態ではほとんど発揮できないだろう。だから自由意志はあるにはあるが、発揮できるのは非常に限…

共同体から人が排除されること

共同体はなぜ誰かを排除しようとしてしまうのか。それは共同体の秩序を維持するために、ルールを守らない人は排除されるー罰を受ける-ということを共同体のメンバーにわからせるためである。罰則がないと共同体内で勝手なことをする人が現れ共同体の秩序が壊…

誰かを安易にキモイと言わない人

誰かを安易にキモイと名指ししない人とはどういう人であろうか。差別心のない人格の正しい正義の人だろうか?私はそうは思わない。誰かをキモイと安易に言わない人とは言うと困ることが起こることを想定する人だろう。一般的に人は悪口を言った相手とは協力…

誰かに謝ってほしいと望むこと

誰かが自分をひどい目に合わせたとしよう。その場合、人はその誰かに謝ってほしい、反省してほしいということを望む。それはとても当たり前のように思える。しかしそれはいったいなぜだろうか?もし自分をひどい目に合わせた人物との関係が今後一切なくなる…

孤独の問題

孤独が問題とされている。親しい友人がいない、所属できる居場所がないなどである。孤独の原因は何だろうか?たとえば仕事中心の生活で友人を作る活動に参加できない、趣味の集まりに参加する時間的余裕がないなどである。しかしよく考えるとそれはおかしい…

集まれればなんでもよいのか?

本来は集まれればなんでもよいわけではなかった。あくまで集まったメンバー同士がお互いに協力して何らかの活動をすることで自分たちの生存状況を有利に変えるということが目的とされていた。自分たちの生存状況を有利な活動を協力して行うために集団を作る…

影響力を発揮すると不自由になる

人は他の人たちに対して影響力を発揮したい。この人の言うことはもっともだとか納得されて感心を持たれるようになりたい。多くの人たちに対して影響力を発揮することができることを望む。しかし影響力を発揮できるのは、自分のことを仲間だとか思ってくれた…

人と交流するのは自分の生存を有利にするため

人と交流するのは自分の生存を有利にするためだ。だから付き合う相手を自分の生存が有利になる相手であるかどうかという基準で選んでいる。しかし人は自分の動機が自分の生存を有利にするためであるという生臭い理由であることを認めたくない。だからどうし…

共同体内の問題を解決する場合の目的

共同体内に問題がある場合なぜその問題を解決しようと思うのか?その目的は共同体を長期間維持し続けることをしたいがためである。もし共同体をそれほど長期間維持し続けようと思わなければ、たとえば後5年とか10年くらい延命すればいいと思うなら、問題をス…

人口が増えるということ

人口が増えるということはどういうことなのだろうか?人口の増えた分の人たちはどういった人たちなのだろうか? 贈与の共同体がA、B、Cと複数あるとする。贈与の共同体Aのメンバー同士は自給自足体系で各々が必要な分を生産し、メンバー分だけ再配分をする。…

少子化の原因?

少子化の原因は何だろう?子供を持ちたいと思う動機は楽しそうだからであろう。具体的には小さな子供を連れて一家団欒で過ごすその生活の様子が楽しそうに思えるからではないのだろうか。公園などで子供を連れている家族連れは楽しそうに見える、見ているこ…

人の幸福度を高めるのは好きな人がいるかどうか

人の幸福度を高める要素は好きな人がいるかどうかだろう。特別な趣味があるわけではなく、夢や目標、やるべきことがあるわけでもない人の場合、自分の幸福度が何に左右されるかというと自分に好きな人がいるかどうかである。好きな人というのは恋愛の対象で…

医療従事者であっても反ワクチン派になるのはなぜなのか

医療従事者であっても反ワクチン派やニセ科学信奉者になってしまうのはなぜなのか。それは専門家であっても理解できない難しいことが多くなっているからではないのだろうか。医療従事者だからといってワクチンについてあるいは医療についての科学的な内容を…

閉塞感はなぜ生じるのか

閉塞感はなぜ生じるのか。現状がよくないと思われるときに、現状をよくするためのよいやり方が思い浮かばないからである。そのため何もできない、することができないという現状に対するコントロール感を失うことより閉塞感は生じる。しかし現状をよくするた…

外部の人たちと交渉することについて

外部の人たちと交渉することはできるのだろうか?人が誰かと何かについて交渉しようとするとき、交渉相手のことをよく知らなければならない。そのためにはその交渉相手とある程度交流することが必要になる。交流を通じてしか相手のことを知る方法がない。し…

みんなで幸せになる方法だけがない

みんなで幸せになる方法だけがない。それが問題なのだ。自分だけが自分なりに幸せになる方法はあるけれども、それでは人は満足しない。自分ひとりだけ幸せになることができたとしてもそれは後ろめたいことで堂々と自分は幸せであると宣言することができない…