仲間がいると生存に有利になるのか?

仲間がいると生存に有利になるのだろうか?

人が生きていけるのは現代では資本主義の分業システムにアクセスできるからだろう。

資本主義の分業システムにアクセスするためにある程度確実なのはお金があることである。だから現代では仲間を求めるよりもお金を求める欲求のほうが強くなっている。

たとえ仲間がいたとしても資本主義の分業システムにアクセスすることができなければ生存することができない。

さらに問題なのは仲間がいた場合、人間の性質としてどうしても仲間だけの閉鎖的なグループだけで完結する世界を構築してしまうことだ。仲間だけを見て仲間だけに喜ばれるような言動をすることだけに熱心になってしまい、仲間以外の世界を見なくなる。

しかし実際は仲間以外のさまざまなネットワーク(人間や物などの)に資本主義の分業システムは支えられている。そこが見えなくなってしまうことはかえって生存に不利な状態に陥る原因になる。

資本主義の時代になってから仲間がいても安心ができない状況になってしまった。

そして資本主義の分業システムは私個人の生存を助けるために行われているわけではない。資本主義のネットワーク上にいるいろいろな人たちは各々の目的(お金を手に入れるなど)を果たすために協力しあいつながっている。だから個人のコントロール下にはない。さまざまな意志が入り乱れ適当につながることで成り立つ複雑なシステムだ。そのようなシステムをコントロールすることは個人にはできない。だから自分が生存できている仕組みは自分のコントロール下にはないので、資本主義のシステムからは個人が心理的な安心感を得ることはできない。

仲間に対して抱くような心理的な安心感はないのだ。仲間にはとりあえず仲間という関係が続いている限り、仲間に対して心理的な安心感を得ることはできる。

それは生存できることに直結するものではなく単なる心理的な安心感ではあるのだが。

このように資本主義のシステムの元では実際の生存できるものと心理的な安心感を得ることのできる対象が異なっている。資本主義のシステムの中ではなんとなく不安感が存在し続けるのはそのことが理由だろう。