資本主義が現れたせいにされていたこと

資本主義が現れたから、人間関係が自分の利益になる相手とだけ関係するものに変化したと言われている。それは本当なのだろうか?皆が資本主義の考え方に取り込まれて、自分の利益にならない相手とは関係をしないで、自分の利益になる相手とだけ関係するというさびしいものに変化したと。資本主義がなかった時代、人の関係は血縁・地縁のつながりで関係する相手だった。その時は暖かい感情で人々がつながっていたということを信じている人は多い。しかしすでにその時から自分の利益になる相手とだけつながる関係だった可能性はある。その時代にあった血縁・地縁集団が自分の利益になる相手を選別して作られていたものである可能性はないのだろうか?

血縁だからといって血のつながりのある人間は全員が仲良く関係性を維持することをしていたのか?いや血のつながりのある相手の中で自分の利益になる相手とだけ関係をして、利益にならない人を共同体から追い出していた可能性はないのか。

資本主義がない時代は人が生き延びるのが大変だった時代である。協力しないと生き延びることはできなかったから、協力はしただろう。しかし誰と協力をしたのか?

協力をする相手を選別していたのではないのか?地縁・血縁集団を作っていた時代から自分の利益になる相手とだけつながるということをしていたというより、人は自分の利益になる人と関係するというのが人間の共同体のそもそものあり方だった可能性がある。

資本主義が生まれて楽になったと考える人たちがいる。

その人たちは共同体の和を乱す、つまり共同体の中にいても利益をもたらしてくれないとみなされて追い出された人たちである。彼らは血縁・地縁の共同体を憎んでいる。追い出されてそこにいることができなかったから。彼らは資本主義の関係のほうが公平なものであると思っている。

彼らの中で特に資本主義の市場の中で流通させることのできる価値あるものを生み出せる能力のある人たちは。彼らはそれが市場で評価されることで初めて共同体的なものに参加することができた。資本主義の仕組みの中で評価されたという実感を得た。

だから彼らにとっては資本主義の世界のほうが公平なものなのだ。