身内集団内に起こる分断のパターン

人は自分が仲間だと思える人たちと一緒に過ごすことのできる身内集団を手に入れることができれば安心感を得ることができる。しかし身内集団だけで生きていくことは実は可能ではない。身内集団は身内集団だけで完結しているわけではなく、外部にあるいろいろな集団とさまざまなネットワークでつながっている。とりわけ現在の資本主義体制では、身内集団はいろいろな外集団と経済的なやり取りをすることで生き続けることができる。身内集団内には特に外部の集団と経済的やり取りをしたり、交渉・調整をしたりすることに特化したタイプの人たちがいる。彼らは自分のいる身内集団が外集団とのネットワークを通じて生存できていることを理解している。しかし身内集団内にいる多くの構成メンバーは身内集団内の人たちとのみ生活のやり取り(経済活動含む)をするだけで生きていくことができていると思っている。彼らには外集団の存在がわからない。身内集団内のメンバーのことだけを考えて身内集団内のメンバーの利益だけを考えて行動すべきだという考え方になっていく。外集団とのやり取りをしているメンバーは自分たちが苦労して外集団との経済的やり取りや交渉・調整をしている苦労をわかってもらえないことに不満を抱くようになる。外集団とのやり取りも必要だと考えるタイプの人たちと身内集団だけで完結した世界観を抱くタイプの人たちはだんだんお互いを仲間だと思えなくなっていく。そうして外集団とのやり取りをするタイプの人たちが分離独立して自分たちだけの身内集団をつくることを考え始める。残された身内集団内だけで完結した世界観を抱くタイプの人たちは、外集団とのやり取りを担当していた人たちがいなくなることで窮地に立たされる。彼らには外集団との交渉・調整の仕方がわからない。相手にも利益を与え自分たちも利益を得るための交渉の必要性がわからない。

これが共同体内に起こる一つの分断のパターンなのではないのかと思う。