中間共同体が衰退するのは

中間共同体が衰退したとよく言われる。それはなぜなのだろうか。

中間共同体のような少人数の顔見知りのメンバーで構成される小共同体は共同体の維持が難しくなる。なぜかというと、メンバー同士が対等である状態が維持されることで成り立っている共同体だからだ。なぜメンバー同士が対等であることが必要とされるのか、それは対等でないとお互いに協力し合うことができなくなり、共同体が崩壊してしまうからだろう。共同体の崩壊を防ぐためにメンバー同士が対等な状態を維持しなければならない。そのための手段が問題なのである。

共同体のメンバーが対等であるためには、共同体の中で突出したよい特徴をもった人がいることは好ましくない。だからメンバーの中で突出したよい特徴を持った人は貶められることになる。噂話、悪口のようなものがなぜ存在するのかというとメンバー同士を対等な地位にするために優れた特徴を持った人を貶めて地位を低くするためだ。

特別に豊かな人の存在も好ましくない。富を持つことを容認すれば、格差が広がっていく。そのために裕福な人は裕福だという理由で悪い噂をたてられたりする。他の人より裕福な人は裕福であることを後ろめたく、まるで悪いことであるかのように感じるように仕向けられる。富を持つと他の人たちから嫌われたり悪く言われるなら、富を持つ気がなくなるだろう。かくして格差が広がらないようにできる。またその富を個人的な楽しみに使うことも悪く言われるだろう。その富は共同体のために使われなければならない。共同体のために使われることは許容され喜ばれ歓迎される。昔の村落の有力者が村のための施設に自分のお金を出したりしていたのは共同体のために使うことが共同体の一員として生きていくために必要な行動だったからだろう。

そのようなわけで顔見知りの人たちだけで構成される中間共同体はお互いの優れた特徴をお互いにつぶし合うようになっていく。富も自分の好きに使うより共同体のために使うことを強要される。お互いの共同体での地位が周囲のメンバーと対等になっているのかを毎日確認し合いながらお互いにけん制し合いながら生きていく生活は楽しくないのである。毎日が緊張状態である。そのようなわけで中間共同体は長続きさせるのが大変困難である。

そこに資本主義というシステムが現れた。これは人の優れた特徴を容認してそれを伸ばしてお金に換えるということのできる仕組みだった。人の優れた特徴を容認すれば格差は広がるだろう。しかしそれをお金に変換することができれば裕福な生活ができるようになる。資本主義というオルタナティブな生き方ができるシステムが現れたことで、そちらのほうを魅力的だと感じる人たちが増えていった。

メンバー同士が対等であることにこだわって窮屈な生活をし続ける中間共同体より魅力的に思えた。だから中間共同体は衰退していったのだと思う。