普通の人とやりたいことがある人

やりたいことを持つべきだという考え方があるが、やりたいことがある人は普通ではない人だと思う。普通の人はやりたいことが特にない人ではないだろうか。

やりたいことが特にない人が唯一関心のあることは周囲の人たちにどう思われるのかということ。

やりたいことのない普通の人は周りの人たちにどう思われるのかを気にして生きる。周囲の人たちを見てやって大丈夫そうなことをやるか、やったら喜ばれそうなことをやり、やったら非難されそうなことを避ける。この生き方は別に間違った生き方ではない。

ただ現在の資本主義が発達した社会ではこの生き方をすると搾取される可能性が高くなる。どういうことかというと周囲の人を気にして生きる人は自分の周りの環境の影響を受けやすい人ということになるから。このタイプの人たちは環境次第で行動を決めるので、操られやすい。多くの人が支持するものを支持しやすいし、多くの人が欲しいと思うものを欲しいと思う。人に合わせて自分の好みを変えたりもする。こういう人には余計なお金を使わせることが可能である。

一方やりたいことがある人はやりたいことに集中しているので、自分の関心のないことには目をくれない。環境の影響を受けにくい。周囲の人の目も気にしない。しかもやりたいことに異様な熱意を向けて行動できるので、うまくいけば成功者になることができる。資本主義が発達した社会では経済的な富を手に入れる可能性が高まった。

やりたいことがあってやりたいことに集中して成功した人間の姿が普通の人の生き方を惑わせる。やりたいことがある人になるべきだという考え方が生まれて、それが多くの人に支持されるようになれば、普通の人も影響されてやりたいことがある人にならなければと思わされてしまう。しかし普通の人は特にやりたいことがない人なのである。周囲の人にあわせて行動を決める生き方をする人なのである。やりたいことに異様な熱意を向けて行動できる人ではない。だから雰囲気に流されて、目立つ人の真似事をしようとするが、下手な真似方にしかならないので成功者になれる可能性が少ない。本当に成功者を目指せる人のような熱意を向けて何かに集中できるわけではない。

今は普通の人であることは難しい時代である。