身内集団を失うこと

最近の日本人が失ったのは「寛容さ」ではなく「身内意識」ではないだろうか。 | Books&Apps

というのを読んだ。身内がいなくなったので寛容さの対象がいなくなったと考えるのは面白い。

お見合いはなぜすたれたのかという話が時々話題になるのだが、お見合いを仲介する人も紹介されてくる人も身内集団内の人だったのだと思う。

結婚相手が紹介されるような内集団を持つ人が少なくなったのでお見合いが成り立ちにくくなった。

日本人は内集団と外集団を分けて、内集団内の人は信頼できるが外集団の人は信頼できないと機械的に分けて生活してきた。内集団が解体されてしまったら誰を信頼したらいいのだろうか。

友達が欲しい、結婚相手が欲しい、家族が欲しいと強く望むのは、友達や結婚相手、家族というメンバーは内集団と見なせるので、信頼できる相手が欲しいという意味になる。内集団を作らなければ信頼できる相手を得ることはできないと思っている。

本当は個別に人を見て自分に合う人合わない人、信頼して大丈夫そうな人、信頼しないほうがいい人と区別してつきあっていったほうがいいのだが、それは大変に手間がかかり時間がかかる。身内集団は信頼できて外集団は信頼できないと機械的に見なすほうが自分で判断しなくてよいので楽なのだ。