論理的思考能力と空気を読むこと

発達障害が最近話題である。私がこの言葉を知ったのは発達障害の当事者の方がブログを書いていたのを読んでからである。文章がすばらしく論理的思考能力が高い人なのではないのかという印象を持った。しかし発達障害の人は空気が読めないという特徴があるらしい。

こんなすごい文章を書くことができるのに空気が読めないということはどういうことなのだろうか。もしかして論理的思考能力と空気を読む能力は両立が難しい性質なのではないだろうかと考えた。

論理的思考能力を手に入れよう、身に付けるよう努力すべきだということはよく言われているが、論理的思考能力を身に付けるために空気を読む能力を失う必要があるのだとしたら、どういうことになるのか。空気を読む能力を失ってまで論理的思考能力を手に入れたいと望むのか。

自分が今持っていない能力を手に入れたいと思う場合、今の自分の持っている能力はすべて保持したまま、さらに別の能力をプラスアルファの形で手に入れることができると思っているのでさらなる別の能力が欲しいと望むのだろう。しかしある能力を手に入れたらすでに持っている別の能力が失われたり低下したりする可能性があるとしたら、今持っていない能力を望むことを安易にするわけにはいかないだろう。

別の問題もある。空気を読む能力を持っている人が論理的思考能力も持つことができるようになったとしよう。その場合にある問題が発生したときに論理的思考能力で解決策を考えたときと空気を読む能力で解決策を考えた場合、違う解決策にたどり着いてしまったらどっちのほうを採用すべきなのだろうか。今までだったら空気を読んで正しいと思うほうを採用して行動すればよかったのに論理的思考能力を手に入れてしまったばかりに選択をする際にどちらを採用すべきかの葛藤を抱えるようになったりしないのだろうか。