小さな共同体と大きな共同体

ハラリの本に書いてあったと思うのだが人は小さな共同体と大きな共同体を作る。小さな共同体、たとえば狩猟採取民のような共同体は平等主義的で平等に獲物を分けるそうだ。おそらく限りある資源を共同体のメンバーで公平に分けようとする共同規範意識が強く働くせいでそのような状態になるのだろう。

大きな共同体、たとえば帝国のような共同体は安定して効率的なのだが、不平等である。しかしなぜか不平等な地位にいる人たちは不平等を受け入れて安定した状態が続きやすい。小さな共同体ではあれほど不平等を嫌い、公平であることにこだわりを見せるのに、大きな共同体では不平等を受け入れるのが不思議だ。ハラリは大きな共同体と小さな共同体では人は違う行動を取ると書いている。

大規模な人間の協力はすべて究極的には想像上の秩序を信じる気持ちに基づいている。ある土地に住んでいるサピエンス全員が同じ物語を信じているかぎり、彼らは同じ規則に従うので、見知らぬ人の行動を予測して、大規模な協力のネットワークを組織することが簡単になる、とのことだ。

小さな共同体は平等であるが、資源が限られており、おそらく人口を増やすことができないと思う。資源量で人口の規模が決まる。

大きな共同体は富を増やす貿易の規模などが大きくなり、人口を増やすことができるだろう。しかし富は偏在し不平等になる。

人は今、国民国家という大きな共同体を作っており、富の不平等が問題になっている。

大きな共同体で不平等でない状態を作りたいと思っているようだがそれはまだ成功していない。また悪いことに大きな共同体には同じ物語をメンバーがみな信じていることが必要になるのだが、その物語が失われつつあり、大きな共同体内のメンバー同士の協力が難しくなっているようである。