私は人と争いたくない。それは平和主義者だからではない。争いは連鎖して広がるからだ。
私がAさんと争うことを決めたとする。争いが私とAさんとの間だけでとどまるのならばよい。しかしたぶんそうはならない。私にもAさんにもそれぞれ関係する人たちがいる。私とAさんが争った場合、その争いはそれぞれに関係する人たちにも広がっていくだろう。私に関係するBさんとAさんに関係するCさんの間で争いが拡大するとする。さらにBさんとCさんも別の人間関係を持っている。そうやって争いは関係する人の数だけ拡大して広がっていく可能性がある。
また、無関係な人が争いに参加してくることがある。
この争いを利用して自分の政敵を葬る機会にできないかとか、別の思惑を抱いて参加してくる人が現れる。
さらに無関係の人の中には起こっている争いの関係者の一方に勝手に肩入れをして参加してくる人もいる。
そうやって関係のある人から関係のない人にまで争いは連鎖して拡大する可能性がある。
そうなると、私とAさんが争いをやめて和解をしたいと決めたとしても、私とAさんの間の問題ではなくなってる争いを私やAさんはもうとめることはできない。
人は必ず何らかの人間関係に埋め込まれた存在であるので、関係者の間にいろいろなものが広がっていく厄介な性質をもっている。
争いは連鎖して広がり、自分がコントロールできるものではなくなってしまう。
人が法というものを定めて争いを法のもとで決着することをあみだした理由は争いが連鎖して広がっていくことを避けるためだったのではないだろうか。