現状に文句を言うだけで実際には問題を解決する具体的な行動を取ろうとしない人というのがいる。こういう人が結構いる気がするのはこの生き方にメリットがあるからではないだろうか?
現状に不満があり実際に不満を解消しようと行動を実行に移すとしよう。どんな現状であれその現状が成り立っていることで利益を得ている人たちがいるだろう。そういう人は現状を変えられると困るから変えようと行動する人を妨害する。現状が変わらないように動くし、変えようとする人を徹底的に攻撃して潰そうとする。
つまり行動すると返り討ちにあう可能性がある。
しかし文句を言うだけで行動をしないのなら、不満な現状は維持されるがとりあえず生存し続けることができる。
では不満を言うのはなぜだろうか?不満を言う人たちがたくさんいることで、その不満が可視化されこれは問題である変えるべきだと考える人がそれなりに増える。増えた中から実際に行動に移す人たちが現れる。行動に移す人たちが増え、現状維持派も抑えられない勢力になる。そこで文句を言うだけだった人たちは現状変革派が潰されなさそうな勢力に拡大したときに初めて尻馬に乗ることにする。行動を最初にする人間になって最初に潰されるという危険性を回避し、不満な現状が変わった結果だけを受け取ることができる。という計算を無意識のうちにしているのだと思う。
ただしこれは現状変革派がそれなりの勢力に拡大するのを待つ戦略なので時間がかかる。現状変革派が拡大してそれなりの勢力を持つように発展するかどうかは分からない。現状維持派の力の方が強くて現状変革派は育たない可能性もある。
なにより現状に不満を持ちながら文句を言い続ける幸せ感の薄い日常をずっと送り続けることになる。
幸せ感を感じる生き方とは何か?それは人によってたぶん基準が違う。一つ言えるのは生存上有利そうな生き方は幸せを感じることのできる生き方とは違うということ。
たとえば現状が不満で実際に行動し、しかし現状維持派のほうが強くてその運動が挫折したとしよう。でも不満を抱き行動をすることをしてやれることはやったという満足感が得られたのなら幸せ感は高まったかもしれない。
生存上有利そうな生き方を選ぶのか、それとも自分なりの幸せ感を感じることができそうな生き方を選ぶのか。その点を考えることのほうが重要な気がする。