本を読むことと自分の世界観

本を読んでもたいていの人は自分の世界観でしか内容を解釈できないように思う。自分の世界観に合う部分だけに焦点を当てて内容を理解するか、本の内容を自分の世界観を強化するように読み替えることになる。それには理由がある。

自分の世界観というのは自分自身の生きる指針になっている。だから自分の世界観を壊すことを恐れる。世界観が壊れたら新しい世界観を作り直さなければならない。そうしないと生きるための指針を失った状態で生きていくことになる。それはかなり不安定な状態だ。だから本を読んでも自分の世界観を守りながら内容を解釈することをする。

そういうわけでこの人はこの本の内容をちゃんと理解して読んでいない、自分の都合のいい解釈をして間違った読み方をしていると非難される現象が起こる。

人は自分の世界観を変えなければならない局面に追い込まれることがある。それは外部環境の変動などその人にとって予期していない重大事が起こり、自分の今までの世界観が生きていくための指針に使えなくなる事態が起こったときである。はっきりいえばそれは自分の命の危険が迫っているような状況だ。そのようなとき、今まで慣れ親しんでいたなじみのある世界観が崩壊する。もう生きていくためにその世界観では太刀打ちできなくなったのだ。好きで世界観を更新しようというわけではない。世界観は外部からの重大事件のせいで強制的に崩壊させられた。だから強制的に新しい世界観を無理やり構築しなおさなければならなくなったのだ。そして今後生きていくうえで頼りになる新しい世界観を作ることに失敗すればおそらく死ぬことになる。

自分の世界観を変えなければならない事態というのはこのような状況の時である。

本を読むだけで自分の世界観がいちいち新しく作り直されていったら大変である。

だから本を読んでもたいていの人は自分の世界観に合う解釈をするだけである。

世界観を変えるときというのは生きるか死ぬかを迫られているような状況で起こることだ。ただし本を読んで世界観ががらっと変わる事態はある。それは生きるか死ぬかのような危機的な状況でいきのびるために本の力も借りようとしているときだ。そのときは今までの自分の世界観に合った状態で本を読むようなことはなしない。生き延びる手がかりを本の中から必死に見つけようとして読んでいる。だから本を読んで世界観ががらりと変わるということが起こる。それは今までとは全然違う切羽詰まった状況で本を読む行為をしているから起こることである。