一般的な人の世界観

一般的な人の世界観は付き合いたくもない人たちと付き合い続けていかなければならない狭い共同体の中に閉じ込められてそこからは出ることはできない、となっている。つまり付き合う人は選べない。基本的に生まれた場所に我慢して居続けるしかなくて、そこにたまたまいた人たちと付き合い続けていくしかない。そこでいろいろなことをひたすら我慢しながら生きていく。だがそのような世界観に生きていない人たちもいる。

その人たちは自分で好きな場所に移動することができて、自分で付き合う相手を選ぶことができると思っている。生まれた場所にずっといることにこだわらない。自分で好きな生き方が選べると思っている。

今いる狭い共同体の中で我慢して生きるしかないと思っている人は自分で自由に生き方を選べると思っている世界観の人がいることに気付いていない。自分と同じ世界観にすべての人が生きていると思っている。だから人の言動を非難したらその人はその言動を改める以外の選択はしないだろうと思う。なぜなら言動を改めない限りその狭い共同体内で生きていくことはできないだろうから。しかし非難された人たちの一部は言動を改めることなく、自分のしたい言動が許される別の共同体に移動する。彼らは自分の生きたい生き方ができる別の共同体が外にあることに気付くことができる。いろいろな共同体がたくさんあることを知っているから。別の共同体では自分の持っているどういう点が評価されそうなのかを調べて、自分のその利点を生かして別の共同体の中で生きていくことができる。狭い共同体内に閉じ込められて我慢して生きている世界観の人たちは非難すれば言動を改めてくれるだろうといういつも使っている自分の戦略が有効でない場合もあることに気付かない。だからいつものように有効なはずの戦略を使い続ける。それ以外の戦略を知らないから。その戦略は狭い共同体内から外に出ることはできないという世界観を持っている人たちにだけしか有効ではない。