家族を持つことを避けるようになったのは

人は家族を持ちたがる。それは心を赦せる親密な関係になることのできる相手が欲しいからだ。しかし心を赦すことのできる相手との人間関係のトラブルは深く傷つくものになる。心を赦している相手、自分の仲間である、身内であると信じている相手との関係が悪化すると人はものすごいダメージを受ける。それは非常に深刻なダメージで立ち直ることが難しい、その後の人生を生きていくことをくじかせるような致命的なダメージだ。心を赦せる相手が欲しい、しかしいったん心を赦せる相手だと思い込んだ相手との関係の悪化は恐ろしい。それが家族を持つことをためらうことの原因だ。ジレンマである。人は変わる。自分も相手も変わる。生き続ける限り変わり続ける。変化することが生きることだ。最初は良好だった関係もお互いの考え方の変化や環境の変化(環境の変化の影響を受けて人は徐々に変わっていく、環境の変化を受けないで生きていくことも難しい)で人は変わっていく。だからお互いの良好な関係も変わりうる。変化を避けることはできない。だから変化が起こることを受け入れるしかない。今良好な関係である相手との関係はこの先変わりうるだろう。とても良好な関係を築けていたあの頃の時間をとどめたままにしておきたいという願いは当然のことだろう。しかしその願いはもううまくいくことはない相手との関係性を無理やり維持し続けたいという望んではいけない望み、執着になる。それはよくない事態をもたらすことになる。
別れる勇気を持つことも必要だ。しかし別れることになったからといって悲嘆することはない。人は変わり続ける。今関係を維持することができなくなったからといって、別れることになったからといって、その後もずっと関係が断絶したままになるのかはわからない。人生のパートナーとして関係を回復することはできないにしても、今後別の形でたとえば友人や他の関係者、何らかの協力をする相手としての関係の回復は可能であるかもしれない。人は別れを恐れすぎる。別れた相手とはもう関係性は回復できないものだと絶望的に考える。それはわからない。将来別の形での協力者としての関係を新しく築くことができるかもしれない。