創作することについて

創作者になってみたいという気持ちをもつことがある。何かを生み出して公開して評価されてそれによって生活をすることに憧れる。

小説家、漫画家、芸術家、音楽家などの人生だ。

何かを創作して公開したいという気持ちをもつということはどういうことなのだろうか。

自分の人生にある程度満足して満ち足りた気持ちでいる人は何かを創作するエネルギーを持てるのだろうか。何か満足できない不足感を感じるから創作物を生み出してそれを公開したいという気持ちになるのではないだろうか。それだからこそ創作されたものが人の心を打ち評判になり人気になることができるのではないだろうか。

創作物を創作して公開して評価され人気になりその創作物を作り続けて生計をたてることができる生活とはどんな感じなのだろうか。何か誇らしい認められた気持ちになりそれは素晴らしいことのように思える。しかし創作物を作り続けて評価され続ける道は険しいものだ。創作したいというモチベーションを持ち続けていくことはどうしたら可能なのだろうか。評価されたなら評価された状態を維持し続けていくことはどうしたら可能なのか。

創作したものが評価を受けなくなり人気を失い創作者として生き続けることが難しくなる局面が訪れることが予想できる。その未来は創作者にとって恐ろしいことだろう。

創作者が表現したい内容がファンの求めるものと異なっていってしまうパターンと、創作者も創作物の内容も変わらないがファンのほうが変わってしまい今までと同じものを作り続けているにも関わらず評価されなくなり人気を失うパターンがありそうだ。

いずれにしても時の移り変わりとともに変化していくことに創作者が対応していくことが難しいように思える。

また創作者が創作に対するモチベーションを以前のように持ち続けることが難しくなったり、生み出したいものが何もなくなった、創作自体から引退しないといけない局面が訪れることも考えられるだろう。

創作物を消費している立場は気楽なものだ。今までもてはやしとても愛情を注いでいた創作物の対象に以前ほど愛情を注げなくなっていることに気づいたら、ファンをやめればいいだけだ。自分が具体的にファンをやめたという意識がない場合もある。ふと昔の日記帳を見てみたらあのころあんなに夢中になって追いかけていた対象について自分が愛情をこめて記しているものを読み、こんなに大好きなものが当時はあったのだったと思い出す。すでに自分がそれを忘れ去っていたことに気付く。時の移り変わりとともに物事への感じ方は変わっていく。その創作物に対する愛情を持ち続けていたいと強く思っていても、自分の心の感じ方が変わってしまっていて、どうしても難しいこともある。創作者が自分の求めていたものをもう生み出していない、創作者が変わってしまったと思うこともある。創作者が変わったのか、自分の物事への感じ方が変わったのかどっちなのかそんなことはわからないだろう、ただ以前と同じように感じなくなったことだけが事実なのだ。