悩みから解放されたらどうなるのか

人はいろいろな悩み事を持っている。自分を苦しめている悩みがなくなればいいと思う。しかしもし悩みから解放された状態になったらどうなるのだろうか。

人は自分はこういう人間である、自分の特徴はこれだ、自分の性質はこれだと思っている、自分のアイデンティティのよりどころとなる自分が自分である独自性を持っていると信じて生きている。悩みから解放された状態になったら、この自分自身を形作っている性質や特徴はどうなるのだろう?そういうものが何も変わらずに悩みから解放された状態になることはできるのだろうか?という疑問を抱いた。

悩みから解放された状態になったら以前の自分とはかなり違った状態に移行しているのではないのだろうか。たとえば自分はこれが好きだ、これには命をかけているほど熱中していて関心を向けている対象があったとする。しかし悩みから解放された状態になったときに、今までと同じように愛好していた対象への愛情を維持し続けているのだろうか?自分の関心の方向性がすっかり変わってしまっている状態になっている可能性もある。悩みから解放されるというのは自分を構成している要素が一度壊れてまた組みなおされるような変容を受けるほどの大きな変化になるのではないだろうか。

本当に悩みから解放される状態になることを望むのか?それは自分自身が一度死んでもう一度生まれ変わるような変容の過程を経て起こるようなことではないのだろうか?

そのときに以前の自分が大事に思っていた価値観を大事に思い続けていることが可能なのだろうか?あんなに愛していた対象に以前ほど愛情を傾けられなくなっている自分に気づいたりするのではないのだろうか?あんなに憎んでいた対象に向けていた憎悪がきれいさっぱりなくなったりしている状態なのだから、愛情や喜び、楽しいという感情の向けられる先もすっかり変わっていることが起こりうるのではないのだろうか?

そのとき自分のアイデンティティはどうなるのか?これが自分だと信じていた内容はどうなるのだろうか?