物語は誰のもの?

人は物語を集団で共有してきた。面白い物語は共同体の中で共有され、同じ共同体のメンバー同士が同じ物語について話をして物語の面白さを共有して楽しんでいた。メンバーの中にはその物語の続きを発展させたり、違う展開を考えたりする人が現れた(今でいう二次創作のようなもの)。メンバー同士で元の話を発展させて違うバージョンのものをいくつか作ったりしながら、その物語を共有して楽しむことが続けられていった。

そうやって物語は集団で語られて楽しまれてきた。面白い物語を作ることのできる人はもてはやされた。そしてそのうち面白い物語を考えることのできる人は創作者という地位を獲得していった。資本主義の時代になり、創作者は自分で考えた面白い物語を商品として売るようになり、創作者は独立した職業になっていった。金銭のやり取りをするようになって物語に値段がつけられるようになり、物語は誰のものなのか?という問題が生じてきてしまった。

集団で共有していた時代は物語は同じ共同体に所属しているメンバーみんなのものだったのだ。しかし今は創作者が職業として成り立ってしまっている。

だから創作者は物語は自分のものだと主張する。しかし物語は多くの人に共有される性質を持っていることは何も変わっていない。

今はその物語を好む人たち(ファン)が集まって物語を愛好する人たち同士の共同体を作り上げる。そしてその人たちは物語を共同体のメンバーみんなで共有するものにしたがる。しかし物語の創作者はその物語を自分のものだと考える。自分の物語をいじって改変はしてほしくないと思ったり、自分の物語のキャラクターを使って二次創作のようなことをしてほしくないなどと思ったりする。物語の扱い方が変わってしまったのだ。

物語は誰のものなのだろう?創作者が所有権を主張するのか?愛好家のメンバーたちのものなのか?難しい問題だ。