国家が暴力装置の役割を担うということ

現在は国家が軍や警察機構を持ち暴力装置を担当している。これはどういう意味を持つかというとこの制度のおかげで私は個人的には心理的負担が軽くなっている。

暴力は生命の本質的な構成要素をなし、特定の問題に対する合理的なソリューションになる。暴力は人類が他の動物と共有する本性の一部であり、懲罰、防御、捕食のために進化してきた。

これはある本からの引用であるが、暴力は人が必ず備えている機能である。人は暴力の機能を自分の生命維持のために使う。

国家が暴力装置を担っていなかった時代、人は自分で暴力装置を備えていなければならなかった。たとえば獣に襲われそうになったときや敵対する人から攻撃されたときに暴力で対抗する準備を常に備えていなければならなかった。しかしこれは考えてみると非常に心理的に負担がかかっている状態である。敵に襲われることを予想して暴力をいつでも行使できるように心理的に準備をしていなければならなかった。今は国家が暴力装置を担ってくれている。おかげで人は安心して経済活動などのほかの活動に従事できるようになった。

たまに山に入って熊に襲われるような事態が出来したとき人は自分が備えている暴力で対抗しなければならないときもあるが・・・。

国家が機能していないような場所で暮らしているような人は襲ってくる人に対抗するために暴力を行使できるようにして緊張感に満ちた生活を送っているようだ。経済活動に安心して従事することはできない。暴力を自分でやらなくてすむということは楽なことである。