人を苦しめているものは自分の内面規範

人を苦しめているものは自分の内面に形成されている規範意識である。子供から大人になる間に周囲の人間とやり取りをする中で一人一人の心の中に倫理的な内面規範意識が出来上がる。社会的動物である人が共同体の中でどう振舞うべきなのかどういう考えを持つべきなのかなどに関する内面規範である。

それはいつの間にか意識しないうちに自分の中に出来上がり、人が行動するときに自分の行動にいちいち何かを言ってくる。その内面の中の自分の声の制約を受けながら人は何かを考えたり行動したりする。

~のような行動をしない人は許されないとか、~を達成しない人間はダメな人間だとかいろいろなことを言ってくる。その内面の声からは人は逃れられない。常に自分を監視するようにいちいちくちばしをはさんでくる内面の自分とつきあいながら日常を送ることになる。

誰も自分の行動を見ていなくて心の中に監視員よろしく内面規範が常に監視の目を光らせているわけだから、人が自由になることはない。

内面規範の声に悩まされないで済む方法はあるだろうか?昔オオカミに育てられた子供の話を聞いたことがある。

実際はフェイクの話に近かったようだが、もし実際に人間のいない環境で動物だけに育てられその後人間社会に戻ることがなかったとしたらその人はきっと内面規範の声に悩まされず生きていくことができるだろう。

ただし動物も社会的に群れを作る動物であれば、何らかの内面規範意識に近いものは形成されることが予想される。だが人の規範意識と比べたら単純で簡単なもので人ほど悩まされる内容のものではないだろう。動物の群れの数はずっと少ないだろうし、人ほどたくさんの違った共同体を形成するわけではない。

子供の頃にできた単純な内面規範は大人になってからそれぞれ所属する共同体(友人、恋人、家族、会社、地域、国家などなど)の中ではぐくまれ内容がさらに複雑化する。そしてしばしば同時に所属している共同体の中で、たとえば家族と会社では違う規範意識が育つことになる。Aの共同体ではAとふるまうのが正しい、しかし同時に所属しているBの共同体ではBとふるまうのが正しいなど共同体規範は異なっている。どの規範に従ったらいいのか?そこに答えなどない。

自分はどの規範を優先するのかは自分で決めるしかない。Aの共同体の規範を優先すれば同時に所属しているBの共同体の中の人からは文句を言われることになるだろうと自分の内面規範は言うだろう。しかしAの共同体とBの共同体の規範意識を両方満足させることはできない。