人は仲間を求める

人は仲間を求める。人は自分には仲間がいるという設定を欲しがる。なぜなのか。孤立していると思われることは危険であるから。仲間のいない人は攻撃しても大丈夫な相手と見なされてしまう。人間は個体同士の競争が激しい。仲間のいない人は特に狙われやすい。大勢の仲間がいそうな相手に攻撃をしかけると大勢の仲間から報復を受ける可能性がある。だから自分には仲間がいるということを周囲の人たちに分かるように示さなければならない。人のほとんどの行動は仲間がいることを示す動機に基づいている。いいね!を多くもらう人はそれだけ仲間と見做してくれる相手がいることを証明する。〇〇のグループに所属しているとプロフィールに書くことで〇〇のグループに仲間がいるだろうと思ってくれる。そして自分のことを仲間だと見做してくれそうな人たちが気に入るだろう言説を述べて、仲間の歓心を買う行動をする。

仲間(と周囲が思ってくれる人たち)に対して実際に親しい感情を抱いていることは実はなかったりする。ただこの人にはどこかに仲間がいるだろうと見なされることだけが重要なのである。

孤独でいると寂しいから人と一緒にいようとするのではなかった。仲間がいない人は周囲から攻撃しても大丈夫だと思われる危険性を回避するために、孤独でいると寂しいという感情を持つようになった。そういう感情を持っている方が仲間を求める行動をするように誘導されるから、その感情を持つようになっていった。そしてその感情が強い人たちが大勢の仲間を求めて群れ集うようになっていって生き延びていった。だから孤独でいると寂しいという感情を持つ人たちが大勢いるのである。