野心がないこと

大抵の人には野心がない。特別やりたいこともなければ、実現したい夢もない。そこそこの生活が送れればよい。そんなに大勢の人たちと知り合いになりたいわけでもない。そこそこ気の合う人がほんの少しいればよい。あまり大きな望みを抱くことがない。

世の中には野心のある人がいる。どうしても実現したい夢を抱きそれを追いかけている。そういう人は夢を実現するために何でもやろうとする。強い意欲がある。自分の望みをかなえるためにはどうすればいいのかを考え計画し実行し着実に進んでいく。

野心を持って夢を追いかける生き方が素晴らしいわけではない。だいそれた望みを抱くことなしに平凡な人生を送りたいと望むことが悪いわけではない。

しかし問題がある。夢を持ちそれの実現に奔走する意欲のある人に特別やりたいことがない人は対抗することができないことだ。

何もやりたいことがないから強い主張の人に対しておとなしく引き下がってしまう。空気を読んで何も主張しないことを選んでしまうのはなぜなのか。強く主張したいことがないのだ。どっちでもいいのなら強い主張のある人に意見を譲ってしまうだろう。

なぜ人に使われる側にばかりなってしまうのか。それは人を使ってまでやりたいことがないからだ。強い望みがなく強い意欲を持たないから無難な生き方をしてしまう。

他の人たちも何も強い望みを持たないで平凡な生き方をするならば問題は特にない。だが強い野心を持ち、夢を実現するために行動をする人がいる。そのような主張のある人に特別強い主張のない人は圧倒されてしまう。気が付いたら相手のペースで物事が進んでしまうことになる。

夢が個人的なことではなく大勢の協力を必要とするようなことである場合、大勢の人を動員して自分の夢をかなえようとする。そうなると強い主張のない人はその動きに集団として巻き込まれてしまうだろう。

野心のある人は圧倒的な力で平凡な生活をただ送りたいだけの普通の人を巻き込んでいく。