プペルの映画の件で思ったこと

プペルの映画に関する活動をしているいろいろな人たちが取り上げられて話題になっていた。騙されているなどの意見があった。このサロンに参加している人がしたいことは、仲間と共に同じ目標に向かって皆で協力して活動することだと思う。

何も才能がない人や何も実績がない人が仲間と共に同じ目標に向かって協力しながら活動する場に参加することは難しい。

最近「理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!」西浦博氏の本を読んだのだが、ここに才能のある人が仲間とともに同じ目標に向かって活動する姿が描かれていた。才能のある人は西浦さんで、この活動は西浦さんだけで行えたものではなかった。西浦さんはたくさんの協力者を得ることができ、その人たちで協力してウィルスに対抗する活動を行っていった(他の協力者もそれぞれ何らかの才能がある人たちである)。

このように才能のある人は仲間と共に同じ目標に向かって協力して活動をすることができる。

たとえば才能のある人であれば、「今度こういうプロジェクトを立ち上げることになったのでぜひ協力をしてほしい」と声をかけられて、そのプロジェクトなどの組織に参加して活動することができる。その人が声をかけてもらえるのはそれなりの業績をあげてきた実績をもっているからだ。その実績があるから才能のある人とみなされている。

しかし何も特別な才能がない人やまだ未経験で誇るべき実績がない人たちが仲間と共に何らかの目標に向かって活動する場に参加したいと思ったらどうしたらよいのか?

何らかのサークル活動に参加すればいいのか?しかし特にしたいことがなく、熱中する対象もない人の場合は?ただ仲間と共に活動することがしたいことである場合は?

陰謀論にはまる人も仲間が欲しいだけなのでは?と思うことがある。

陰謀を信じることをすれば、仲間と共に同じ目標に向かって何らかの活動をする場に参加できるのだ(その活動がネットで陰謀の情報を拡散することだけであったとしても)。何かのプロジェクトを実行する場であったら、そのプロジェクトを遂行する能力のある人たちしか参加できないが、陰謀を信じることだけが加入条件だったらたやすい。

仲間と共に目標に向かって活動することをしたいのは、それが楽しく心地よい経験だからだろう。その楽しい感覚を味わいたいだけなのだ。

一人で何か熱中することをしていれば幸せな人であれば、仲間と共に活動する場を求めることはしなくてもよいのだが、仲間と共に活動することが一番したいことである人はどこでそのような場を見つければよいのだろう?