敵・味方に分ける政治ゲーム

私は敵・味方に分ける政治ゲームに参加するのが好きではない。しかし意見を表明すると賛否の違いで敵・味方に分ける政治ゲームに参加させられてしまう。また趣味などの好き・嫌いの表明をしても、好悪の違いにより敵・味方に分ける政治ゲームに参加させられてしまう。あらゆることが敵・味方に分ける政治ゲームに振り分けられてしまうきっかけになる。敵・味方に参加させられないようにするには、人と会話する内容は時候の挨拶のような内容に限定しておかないと危険である。

しかしそうすると人とは挨拶ぐらいしか会話ができないことになる。

もっと深い内容を話したいという欲求を満たすことができない。

だが一方でこうも思う。人と深い内容を語りあうことができないと嘆くことが望みすぎなのではないだろうか。時候の挨拶をする相手がいる、挨拶をすることができる相手がいるということに十分満足をすべきなのかもしれない。