なぜ国家を作ったのか?

なぜ国家を作ったのか?それは永続的な共同体を作りたかったからである。国家以前にあったのは血縁・地縁を中心とした小さな共同体だった。地縁・血縁を中心とした小さな共同体はメンバーが顔見知りである。そうしてメンバー同士がいつも常にお互いを仲間であるという気分を醸成できるように地域のお祭りをやったり地域の行事をやったり、顔を合わせて同じ場所を共有する儀式を繰り返して、関係の継続をお互いが努力をして頑張って続けなければならない。そういう儀式をやめてしまうと関係が途切れたりする。何かを一緒にやることで共通の目的に向かって協力するという行動をずっとずっと続けていかなければならない。顔見知りの人間関係をずっと継続して続けていくということはとても大変なことなのである。つねに顔を突き合わせているということはもめごとも起きやすい。もめごとが起きたら話し合いなどをしてもめごとを解消し、お互いが仲間だと思える協力する行事を作って(でっちあげてでも)・・(以下略)。

信頼しあえる人たちで集まって共同体を作り、それが結局うまくいかなかったという事例を聞く。うまくいかなかった、共同体を継続できなかったといって落胆し、何が問題だったのか、なぜうまくいかなかったのかと共同体の運営をしていた人たちは苦悩する。のだがうまくいかないのは当たり前なのではと思う?顔見知りの共同体を維持するのは大変なのである。大変だったから、永続的に共同体を続けていくことが難しかったから、別の形の共同体を作ることを思いついたのではないだろうか。それが国家である。顔見知りの関係の共同体もいまだに存在はしている。(そういう親密な共同体なしでは人間が耐えられないからあるのだろう)。しかし今は国家が長続きするだろう共同体としてあてにできる。その中にある顔見知り同士の小さな共同体は寿命が長くなくてもいい。国家という大きな共同体が続いていくのなら、中の小さな共同体が短命で分かれたりくっついたりまた分かれたり、メンバーが移動したりしていても問題ないだろう。血縁・地縁の顔見知り同士の共同体はもともと短命だったのだろう。かつては人の寿命はそんなに長くなかった。だから小さな共同体が短命でもそんなに困らなかった。人のほうが早く亡くなっていたから。しかし人が長く生きるようになった。共同体の寿命は人の生きる時間より短くなってしまった。だから共同体が長続きしないと嘆くことになったのだろう。