人口増加を望むわけ

国家の人口減少を問題とする考え方がある。人口増加をなぜ望むのかというとライバルであるほかの共同体(国家)と競争する上で人口増加が競争に勝つために有利になるという考えを持っているからだろうと思う。それは戦争を念頭に置いている場合もあるし、経済的競争を念頭に置いている場合もある。とにかくほかの共同体との競争で有利になることが目的だろう。

しかしその場合、増えてほしい人のタイプが競争に勝つために役立つタイプであることを望むことになる。競争に勝つために有利にならないタイプの人間には増えてほしくない。そのようなタイプは減ってほしいとさえ思う。

だから人口増加を望むがある特定のタイプの人だけが増えてほしいというあり得ない望みがセットになっているために、人口増加を望んでいるはずなのに人口が増えない状態になったりする。具体的に言うと人口が増えることを望んでいると言いながら、増えてほしくないタイプが生きづらくなるようにしむけているのである。その圧力が感じられるため、人口を増やす行動を素直にしてはいけない雰囲気になり、かえって人口が減っていったりする。人々にはわかるのである。本当に望まれていることが何なのかを。人々はそれを無意識のうちに察知してその望みの通りになるように行動をする。

しかし人は設計図を引いてある特定のタイプになるように工場で量産することができるようなものではない。できるであろう最良のことはその人が持って生まれた性質が良い方向へ働くようにすることぐらいである。ある特定のタイプの人になるようにその人の持って生まれた性質を無視して人格改造をしようとするからおかしなことになるのである。

増えてほしい競争に勝つために役立つタイプがどんな人であるのかについてだが、一人一人の基準がそれぞれ違っていたりする。たいていの人は自分の周囲にいる人々の頭の中にありそうなタイプをイメージして勝手に解釈する。これという明確な基準があるわけではない。

人口増加については人口が多いことにはデメリットもある。

人口が多いとメンバー同士をうまく協力させることが難しくなる。また秩序が保てなくなる。勝手な行動をする人たちが増えた場合収拾がつかなくなったりする。そして共同体内の資源をめぐって内紛が起こることがある。資源を分配すべきだという考えは我々は身内集団だと思っているメンバー同士であるから出てくる考えである。

身内でない人が持っている資源はその相手をライバルとみなして戦って勝った場合、相手から資源を手に入れることができるというようなことは考えるだろうが、相手が自分に資源を分配してくれないのはおかしいという考えにはならない。

身内同士だからお互いを思いやるべきであるという考えになる。身内なんだからこちらに資源を分配してくれるべきだという考えになる。身内だから要求する。身内だからこうすべきだという考えがあるからこそ、身内間の争いのほうが激しく致命的なものになってしまうことがある。