強い人間とはどういう人間か?

強い人、弱い人などと形容することがある。強い、弱いにはさまざまな定義がありそうだ。私が強い人間と考えるのは、別れを受け入れることのできる人だと考えている。別れというのは突然起こり、理不尽なものだ。なんの心の準備ができていないのに不意に別れが訪れる。つらいことでもある。しかし別れが避けられないとなったら、それを静かに受け入れて、また前を向いて別の新しい出会いに向かって歩いて行ける、それが強い人間だと思う。

「マインドハッキング」という本がある。ケンブリッジ・アナリティカの元社員の人がケンブリッジ・アナリティカで何が行われていたのかを書いた内容だ。ケンブリッジ・アナリティカで行われていた人の心を操るようなダークな仕事は著者の正義に反するということで著者はその内容を告発するに至ったというものだ。

いろいろ面白い要素が満載でいろんな感想が書けるのだが、私が心に響いたのは、ケンブリッジ・アナリティカを告発するという立場になったことで、著者がそれまで尊敬していて慕っていた人物とたもとを分かつことになったことである。

自分が信念のもとにある行動をした場合、人間は同じ道を選んでくれなかった人に対しては失望する。その人物に対する評価をがらりと変えることもある。尊敬して好いていた人物だったりすると一層激しい反応になる。あんなに仲のいい間柄だった相手に対して、相手に対する評価をがらりと変え、こんな悪いところがあった、こんなところは昔から嫌いな特徴だったなどと相手をののしったりする。裏切られたという思いを抱くからだろう。

でも著者は違う。その人物と過ごした過去の時間は自分にとってとてもよい体験だったと思い、そのかけがえのない時間を共に過ごすことができたことに感謝をする。その人から教わったことは今の自分を作っており、大切なものをその人から受け取ることができたと思っているのだろう。そして自分がその人と別れて違う道を進むことになったことに対してそれを静かに受け止めることができている。その部分に感心した。

きれいな別れ方のできる人だなと思った。過去の時間をよい思い出にできるのか悪い思い出にしてしまうのかはきっと別れの受け止め方によるのだろうと思う。

相手に嫌われてしまうのかもしれないと思って我慢してしまうのは、別れることになるかもしれないのが恐ろしいからだ。人は別れが怖い。しかし別れを怖れずに受け止めることができるのなら、一歩踏み出せるだろう。そして別れることになったとしても、その人と過ごした過去の時間を否定する必要はない。それは自分にとってかけがえのない大切な時間で、その人と過ごした思い出がこれから生きていくうえで自分の支えになるだろう。