折り鶴を折って送ること

災害などが起きた時に、折り鶴を折って送る行為が時々問題になる。折り鶴は何も役に立つものにはならないのだから、折り鶴を送るのはよくない行為なのではという意見だ。なぜ役に立たないのに折り鶴を送るのか。共同体ではフリーライダーが嫌われる。折り鶴を送るのはフリーライダーだと見なされることを怖れるからではないだろうか。

災害が起きて困っている人たちのために何かしないとという思いに駆られはするが、実際に何か具体的に役に立つことのできる人はそういない。災害ボランティアとして現地に行って活動できる能力のある人々は多くない。現地に実際に行って汗を流して活動できる能力がない場合は、お金を送ったり、物資を送ったりすることで役立つ活動もできるだろう。しかし資産がない人はどうしたらいいのか。送るための物も用意できない。何もしないでいるとフリーライダーのように見なされてしまう。折り鶴を折って送ることをすることで共同体の困っている人たちのために何かをする気持ちを持っていることが証明できる。自分は決してフリーライダーのように一方的に利益だけを受けて何もしない人ではないと表明しておかないと、共同体内から追い出されたり、共同体内で地位が下がっていったりするのである(見下されたりもするだろう)。