空気を読むことと人に会いに行くこと

日本では空気を読むことが求められる。空気を読むことが意味しているのは今いるローカルな共同体を維持せよ、ローカルな共同体を壊すなというメッセージであると考えている。そうすると人に会いに行くことをしないという選択はしづらいのではないのだろうか。人に会いに行く目的はローカルな共同体を維持しようとすることである。

日本では国家で強い命令を行使して、具体的に人が集まる行為を取り締まったりしていない。それがなぜできる体制にならなかったのかと考えた。

それは国家より一人一人にとって身近である小規模なローカルな共同体のほうが優位になっているから。国家に従うより小規模なローカルな共同体に従うほうの圧力が強いのである。一人一人に空気を読んでいま自分のいる身近で小規模なローカルな共同体に従って生きろという慣習でやってきているので、感染症パンデミックが起きたからといって、今までの慣習を急には変えられない。特にローカルな共同体のルールが直接会って親交を深めることである共同体に所属している場合、会うことをやめるのは難しい。

医療従事者の人に会うなというメッセージが妙に攻撃されているのはなぜなのかと考えたら、ローカルな共同体を壊せと言われている気になるから。

人に会いに行くなということが重要であることは理解していても、人に会わなかった結果ローカルな共同体が壊れたらと考えたら怖くて、人に会いに行くことを止められないのである。

人に会わないことが可能な状態の人

その人のローカルな共同体が同居している家族だけの場合。同居している家族間の交流は今のところ禁じられていない(というか同じ家に同居している人同士で交流をしないのは難しいから)。

空気を読めというメッセージを常に無視して生きているタイプの人

自分のルールに従って生きているので、人に会うことをしないというルールに従うべきだと考えるなら従うことができる。ただし自分のルールが人に会っても構わないという考えになる人は別。