ニセ科学がなくならないわけ

ニセ科学はなぜなくならないのだろう。それはニセ科学を言う人を否定する言動を人がとらないからではないだろうか。もしニセ科学的な内容のことを知り合いが言っている現場に遭遇した場合人はどう行動するのか?おそらくそれはニセ科学ですよと注意をしたりしないのではないか。

なぜならそれを言っている人が自分の身内の人間だから。人には身内の人間が間違ったことを言っていても、それを否定する言動を取らない習性がある。身内の人間のやることを大目に見て特別扱いをする(忖度をする)人は共同体にふさわしい行動をするよい人間だと見なされる。人は身内の共同体から追い出されることを怖れる。だから身内の人の言動にどういう対応を返すのかを空気を読んで推し量っている。共同体内にいてふさわしい人間であるかどうかの基準が身内の人間の言動に甘い対応をするかどうかで判断される。真偽にこだわって身内の人間の言動を否定する行動をする人は共同体内にいてよい人間だと思われない。

もしニセ科学を言っている人が自分の身内でない外部の共同体の人であるならば、その言動を非難することはたやすい。しかし身内の人間の場合は否定する言動を取れないのである。ニセ科学の内容を信じていて否定しないのではない。ニセ科学を言う人が身内なのか外部の人なのかで対応を変える。それが共同体内の守るべきルールだから。この道徳律が真偽にこだわることより優先される。

科学的に正しい知識を普及する活動をしても、ニセ科学はなくならない。なぜならニセ科学を信じているから否定しないのではなく、身内の人間の言動は否定できないから否定しないのだから。