無縁者と有縁者

anmintei.net以前読んだこの記事が面白かった。私はれいわ新撰組は特に応援しているわけではないが「無縁者」という言葉が面白いと思った。

無縁者がいるのなら有縁者もいるはずと思い、じゃあ有縁者はどういう人になるのかなと考えた。

おそらく有縁者は決まった共同体に所属している人だろう。どういう共同体なのかというと、自分が同じだと思える人がいる共同体に所属している人。

たとえば田舎から都会に出てきたとして、たまたま知り合った人と親しくなりおしゃべりをしたらその人が同郷の人だと判明した場合。出身が同じだと思って嬉しくなりもっと親しくなるだろう。そういう自分と同じと感じる相手と共同体を作っていくのが有縁者のあり方になるだろう。

無縁者はそうした共同体の中にいて違和感を抱いて馴染めず外に出て行くことを選ぶ人、あるいは残念なことに違うという理由で共同体から排除されることになった人のことなのではないのかと思う。

有縁者の共同体は同じと感じる人たちだけの共同体なので、違うことがあまり許されない。そうして自分と同じ特徴があると思える人っていうのはそんなに大人数ではないので(直接会って同じだと思えるところが確認できるような間柄の人になるので)あまり大人数の共同体にはならない。

無縁者は共同体を築かないのかと言うと共同体なしに生きることは人間には難しい。だけど無縁者の場合は自分と同じだと思える人っていうのを見つけづらい個性的な人が多いので、同じだと思える相手以外とネットワークを築くという方法を編み出したのだろう。ある目的があり、その目的の達成のために一時的協力をする、そのために暫定的に共同体を築くということもできるだろう。だから無縁者の共同体はいろんな個性的な人がいるユニークな共同体になるのではないだろうか。

有縁者は同じだと思える自分たちの小規模な共同体の仲間のために働くことができる。それは喜んでするだろう。ただし大きな共同体(国家のような)のためのリーダーは向かない。なぜなら有縁者は自分が仲間と思える小規模な共同体のメンバーだけのために利益を誘導してしまいがちになるからだ。有縁者はそれが分かっている。そのため有縁者は自分と同じ有縁者タイプの人が大きな共同体のリーダーになることを警戒心を持ってみる。しがらみのない政治家を求める理由は有縁者が自分とは違う陣営に所属する有縁者を信頼できないからだ。

無縁者は同じと思えない人ともネットワークを築くことができる。たとえばカリスマリーダーのような人はどちらかというと無縁者の中から現れる気がする。無縁者の中からある理念や理想の実現を目指す人が現れ、それがたまたま無数にいる有縁者(有縁者タイプの人のほうが多数派になるだろうから)の作る複数の共同体の人たちに受け入れられるときに大きな共同体ができあがるのではないだろうか。