コロナ禍での生存戦略

コロナ禍でも人に合いに行く人は、人と交流すると自分の生存が有利になるという生存戦略を採用して生きてきた。人にはその人独自のお気に入りの生存戦略がある。どの生存戦略を選んでいるかはその人独自の性質に影響される。

たとえば人と会うことがあまり好きでない人は人とあまり会わないほうが生存が有利になるという生存戦略を採用して生きてきた。免疫がもともと弱く、人からウイルスなどをうつされる可能性が高い人であるならば、人と交流することは危険なことになる。だから人と交流すること自体を不快であると感じるようになり、人とあまり交流しないという生活を送るようになって自分の生存を守っている。また人と交流することによる刺激に耐えられない敏感なタイプの人もいる。その場合も人と交流することで受ける刺激を減らすために、人と交流することを不快だと感じるようになって人とあまり会わない生存戦略を採用することになった。

しかし免疫が特に弱くなく、また人と交流することで受ける刺激が心身に悪い影響を及ぼさないタイプの人は、人と交流することで生存が有利になるという生存戦略が採用できた。人と会うことに快を感じるようになり、人と会うことで心身の状態がよい状態になっていく。しかしここにコロナが襲い掛かった。

もともと人と会うことを控える生存戦略を採用していた人は、そのまま今までと同じ生存戦略を続けていくので特に問題はない。

しかし人と会うことで生存が有利になる生存戦略を選んで生きてきた人はどうしたらいいのか?それがコロナ禍で問題になっている。人と会うことで生存に有利になる生存戦略を捨て去って、人に会うことを控えることで生存が有利になるという新たな生存戦略を採用して生きていくことをすべきなのか?

人は今まで自分が生きてこれたのは、自分が選んだ生存戦略が有効だったからだと考えているので、自分の慣れ親しんだ生存戦略を変えることを嫌がる。また今まで従事してきた生存戦略に最適化するような感じ方もできているので(人と会うことに快を感じるか不快を感じるかなど)生存戦略を変えるには感覚も変える必要がある。これは大変な変化を受け入れることになる。これがコロナ禍で起きている問題なのだと思う。