対立するのは仲間を手に入れるため

自分には仲間がいると思いたい場合、対立しているグループのどちらかに参加すればよい。共通の敵を設定すれば連帯が簡単にできる。人は一人一人違う。仲間だと思える相手は自分と同じところがある人に限られる。しかし自分とこの人は同じだと直観的に思えて素直に仲間だと感じられる相手に巡り合うことは意外に難しい。この人もこの人も自分とは違う、違う意見だし、違う環境だし、違うことが好きで、違うことが嫌いだ、だから仲間だとは思えない。そんな仲間だと素直に思えない人たちにばかり囲まれて生きることはひたすら孤独だ。その孤独に人は耐えられない。だけど共通の敵を設定して集まれば簡単に仲間グループを作ることができる。対立する論点は重要じゃない。対立する理由も本当はない。ただ共通の敵を作ればそれを中心に集まることができて連帯することができて仲間がいる状態を作ることができる。仲間が欲しい、それだけ。

本当は偽りの連帯であることは心の奥底ではわかっている。対立点は命をかけるほど大事だから守らなければならないと口では言うけどそれは偽りである。本当はどうでもいいと思っていることを自分でわかっている。命をかけて守らなければならないと思えることは特にない。自分の命さえ、仲間を手に入れることに比べればどうでもいい。だから命をかけてみせることさえする。誰も仲間でない大勢のひとたちに囲まれてひたすら孤独な状態のまま生き続けること、それが一番つらいのだ。