みんなと同じ行動をしていても同じ結果にならないこと

大抵の人は自分のどう行動するのかを自分の周りの人たちの行動を見てから決める。

自分の周りにいる普段よく接する人たちの行動を模倣しておけば間違いはないだろうと予想する。同じような行動をしておけば無難な選択だろう、そう思って同じような行動をしておく。自分がどう行動すべきかを自分の頭で考えることは手間だし、どう行動するかについて確固とした意見が特にないのなら、周りに合わせておく。それは間違っているわけではない。だが他の人と同じ行動をしてみて得られた結果が自分を満足させるものにならない場合もある。みんなはその行動をして得た結果に満足して幸せそうにしているのに自分はなぜこんなに苦痛を抱えて苦しんでいるのだろうということになることもある。

みんなと自分は違う物事の感じ方も解釈も、幸せだと感じる状態も実は違っていた。みんなと自分は同じだと根拠なく思っていたが、実は自分はみんなとは違う感じ方をする人間だったということに遅まきながら気づく。同じだと思っていたのに同じではなかった自分は違う特徴をもつ人間だった。そして後悔する。みんなと同じ行動をすべきではなかった。

たとえば女性は結婚して子供を持ち家庭を持つのが幸せだという考えがある。結婚して子供を持ち家庭を持つ生活を送ると幸せだと感じる人ならその生き方を選んだ方がいいだろう。しかし自分はそうなのか。自分はその生活を幸せだと感じることのできる性質をもっているのだろうか?

ある人にとっては誇りを持ち自信をもって仕事に邁進できて満足しながら働くことができているという状態が、ある人にとってはブラック企業に勤めている、嫌なことを毎日押し付けられているという状態だと感じられることもある。人によってその状態をどう感じるかが違うのだ。それはその人の性質が異なっているからである。

同調圧力は悪いのか。みんなが同じ行動をするように見えない圧力がかけられることはよくないことだという意見がある。本当は同調圧力が悪いわけではないのではないのか。同調圧力に従って行動をした結果得られる状態が無難で特に問題をもたらすことにならないタイプの人と、同調圧力に従って行動をした結果得られる状態が苦痛をもたらす環境になるタイプの人がいる、そのことが問題なのではないのだろうか。

つまり自分の特性、物事の感じ方、幸せだと感じる状態の違い、そういう個別の特徴の違い、それを見極めずにみんなと同じ行動をすることが問題なのだ。