人を助けることが気軽にできるとは?

かつての日本では気軽に人を助けることができていたと言われることがある。それは実際どうだったかはわからない。がもしかつての日本で人を助けることが気軽に行われていたとしたら、それはどうしてだろうか。おそらく気の毒な状態にいる人を見かけると、かわいそうだと思う素朴な感情に従ってあまり深く考えることなく援助の手を差し伸べていたのではないだろうか。そしてそれで問題は起こらなかったのは短いスパンで物事を考えていたからだろう。長期的に誰かに援助の手を差し出し続けるのは難しいが、一日だけ短時間だけ面倒を見ることは可能だ。助けを求める人も長期的に自分の困難な状態を解決してほしいとは望まなかった。一日だけや短時間だけの援助でも10人くらいの人の手を順番ずつ借り続けていけば10日間ぐらい生き延びることができる。そのようなことを繰り返してどうにか生き延びることができて、そのうち状況が好転する機会が偶然得られるかもしれない(手を貸してくれた誰かの紹介でしばらくの仕事にありつく機会を得たりするかもしれないなど)。助ける人も何日か援助の手を差し出して、これ以上は無理だと思ったら、今後は別の助けてくれる人を探してくれと言って引き続きの援助をすることを気軽に断ったのだろう。そのような短期間の気軽な援助の繰り返しが短いスパンで続いていった。

しかし今は多くの人が長いスパンで物事を考えるようになった。一度援助したらその人をずっと援助し続けなければならないと考えたら、気軽に人を助けることはできない。気軽に人を助けることができたのは短時間だけの援助で問題ないと考えていたからだろう。

教育水準が高くなり、長期的な視点で物事を考えて、あらかじめ将来を予想して計画をたてて行動をしなければならないという考え方が広まった。長期的に計画をたてて物事は実行しなければならない。その考えが広まったことで、気軽な援助ができなくなった。