国家という共同体がうまくいったことがもたらしたもの

人の作った国家という共同体がごく一部の地域でどういうわけかある程度長期間維持することに成功した。その成功がもたらした問題がある。それは国家が長期間運営できているので人が共同体をある程度長期間運営して維持する能力を持っているはずなのだという思い込みを持つようになったことである。それがどうして問題になるのかというと、共同体をつくろうとするときに長期間運営できることをあらかじめ期待するようになるからだ。しかし実際に共同体(企業とか地域の組織とか家族とか)を作ってみると長期間問題なく運営維持することに非常に苦労する。人は共同体を長期間維持する能力を持っているはずなのではないのか、どうしてうまくいかないのか、といういらだちを持つようになってしまった。しかし人は共同体を長期間運営する能力を持っているということは疑わしい。なぜなら人は過去にはそれほど長く生きることができなかったからだ。長く生きることができない環境で長期間何かを維持し続ける能力を持つ必要はない。だから人は長期間共同体を運営する能力を持っているはずはないのだ。過去の生存状態が脆弱な人間の世界では共同体は外部からの疫病や災害あるいは戦争などで消滅の危機にすぐに陥っていただろうから。

特に小規模な共同体は長期間維持することが難しいだろう。なぜなら長期間維持される共同体は常にメンバーがその共同体を維持し続けようと思う意欲を持ち続ける仕掛けを作動させておかなければならないからだ。その仕掛けの維持にもコストがかかる。地域の共同体であれば町内会の集まりや町内会のお祭りなどを定期的に実行することなど。あれは共同で何かをやる練習を定期的にするために開催されるのだと思う。メンバーたちが定期的に交流をもって何かを協力してやることで私たちは同じ共同体の一員だという意識を持ち続けることになる。しかしそれにはコストがかかる。コストがかかることをやり続ける必要があるので、ある程度裕福な資源を持つ共同体でなければならない。共同体を維持する仕掛けを作動させる余裕のある共同体は生き残ることができて、それがない共同体は滅びていったのだ。