責任ある行動をしないのは

責任ある行動を人はなぜしないのか。それはそのような行動をすると共同体から追い出される可能性があるからだろう。責任ある行動は何らかの問題を解決するための行動である可能性が高い。しかし共同体内のメンバーすべてが納得して同意できる解決方法は存在しない。どういうやり方で問題を解決するにしてもそのやり方ではだめだと誰かしらが反対するだろう。その問題解決方法が行われたときにそれを行った人を非難する人は必ず現れる。その問題解決方法が気にくわない人が複数人いた場合、彼らに責められて責任ある行動をした人は共同体から追い出される可能性がある。その問題解決方法が妥当だったと思う人たちが複数人いたとしても、共同体内にその人物の行動を非難する人たちが複数人別にいるのである。共同体内の調和のために責任ある行動をした人に責任を取ってもらって共同体から出ていってもらう必要があると考えるかもしれない。かくして責任ある行動をした人は共同体から出ていくことになる。人は皆共同体内から排除されることを恐れる。それが一番いやなことだ。責任ある行動をした結果共同体から追い出されるなら何もしないほうがましだと考えるだろう。だから問題解決ははかられない。共同体の一員である状態を維持したまま共同体の中の人間が問題を解決するということはとても難しいことだ。

たとえ自分が共同体から出ていくことになってもこの問題解決方法を実行することが共同体のためになるという信念をもって行動できる人だけが責任ある行動をする。

しかしそれでは問題が発生するたびに、責任ある行動をする人が毎回共同体の外に出ていくことになって大変である。

コンサルタントなどの職業が成立している理由はそれだろう。共同体内の人が問題解決をすることがそもそも難しいなら外部にいる人が問題発生時に共同体内に入って問題解決行動をすればよいという発想だ。そのようなわけで問題解決に特化したタイプの人たちが共同体内に問題が発生したときに外部からやってきて問題を解決するというやり方が生み出された。コンサルタントや弁護士、何らかの専門家のような職業がそのようなわけで成立している。