身内だから許されていた言動について

身内の共同体内では大目に見られていた人が外部の人たちから問題のある言動をしていると咎められることがある。しかし身内だからその振る舞いが許されていた人というのは本当にいるのだろうか?その人は身内の共同体内で権力を持っていたから、問題があるふるまいをしても大目に見てもらえていただけなのではないのか。権力を持たない側の人はたとえ身内の共同体内でも言動を大目に見てもらえることはなく、自分の言動が共同体にふさわしくないというジャッジを受けるのではないかといつも怯えながら、自分の言動に気を付けて過ごしている。

多少自由な言動をしてもいいと思っている人は共同体内で権力を持っている人だけだ。自分が権力を持っている自覚があるので他の人より多少横暴な振る舞いをしても、誰も咎めてこないだろうという確信をもって行動をする。基本的に権力というものは、自分が権力を持つぞと決めて持てるものではなく、共同体内の他のメンバーたちがこの人なら権力を持ってもよいと承認して持つことができるようなものなのだ。特定の誰かに権力を持たせて権力を持たせる代わりに自分たちの面倒を見てもらう、何らかの援助をしてもらうという関係によって権力を持つ人が生まれる。だが環境の変化や何らかの原因でその人が持っていた権力が剥奪されることが起こる。その原因は定かではない。

その人に権力を持たせていても見返りが大したものではなくなったとか、その人の横暴な振る舞いが権力を持たせ続けることをやめたくなるほどひどいものになっていると感じてきたとか、別のもっと大きな見返りを与えてくれそうな人を見つけてその人に権力を与えたほうがよいと考えたなどいろんな理由があるだろう。もしくは単なるメンバーたちの気まぐれで権力者を変えたくなったとかいうものでもあるかもしれない。何にしろ誰かが権力を持つ状態というのはいつまで続くのかわからない不安定なものだ。

権力をもてば多少自分の言動が自由なものになるかもしれない、そのことは魅力的だが、権力を維持し続けるのは難しい。その人が権力を持つことを支持してくれる人たちに定期的に見返りを与え続けなければならないし、あまり横暴に振る舞い過ぎてもメンバーたちが不快に思うかもしれない、そのような面倒なことに注意をしながら権力を維持していかなければならない。だから権力を持たない側にいるほうが楽だという理由で権力を欲しがらない人もいる。