誰かに謝ってほしいと望むこと

誰かが自分をひどい目に合わせたとしよう。その場合、人はその誰かに謝ってほしい、反省してほしいということを望む。それはとても当たり前のように思える。しかしそれはいったいなぜだろうか?もし自分をひどい目に合わせた人物との関係が今後一切なくなるのであれば、その人物に謝ってもらったり、反省する態度を示してもらう必要はないのではないのか。自分をひどい目に合わせた相手の関係が終わることがなく、自分と今後も何らかの活動を一緒に協力して行うことがずっと続く場合であれば、その相手に謝ってもらい、反省の態度を示してもらう必要が生じるだろう。つまり誰かに謝罪を要求するということは、その相手との関係が終わらないと考えているためである。

しかし一般的に考えて自分をひどい目に合わせた相手との関係を続けたいと思うだろうか。自分をひどい目に合わせた相手とは今後一切関係を断ってしまうことをしたいと望むのではないだろうか。相手に謝罪を要求し、反省の態度を求めるということは、いったん関係を持った相手との関係を終わりにすることが難しかった状況があったからではないだろうか。それはおそらく過去の時代に人は生まれ育った土地にずっと住み続けており、周囲にいる同じような人たちもずっとその同じ土地に住み続け移動することがなかった(移動することが難しかった)、そのような状況があったからではないだろうか。

その場合自分をひどい目に合わせた人物とも同じ土地で何らかの共同活動をしながら一緒に暮らし続けるしかなかった。だから自分をひどい目に合わせた相手に謝ってもらって反省の態度を示してもらう必要が生じ、そのようなことを人に求めるようになっているのだろう。