他者の言動を非難すること

他者の言動を非難したくなる相手は大抵自分と付き合いのある相手である。その非難をなぜするのかというと、その人との今後もつきあいを続けていくべきかをその言動によって変える必要が生じるかもしれないと考えるからだ。つまり自分にとって不快な言動をされた場合、その人と付き合いをやめることを考え始めているからだ。だからその不快な言動を今後もし続けるつもりなら私はあなたとの交流を続けることをやめるかもしれないので、私との関係を終わりにするつもりがあなたにないなら、その言動を今後は改めてほしいというお願いを相手にすることになる。

たとえばAさんが自分に対して失礼な言動を取った場合、自分に対して失礼な言動をAさんが今度することをやめないのならあなたとの付き合いを続けることをやめるということを意味する。

それ以外にAさんが自分に対してではなく共通のBさんに対して失礼な言動を取った場合にAさんの言動を非難する場合もある。共通の知人であるBさんに失礼な言動を取り続けるのならばAさんと付き合いを続けることはもうできない、今後Bさんに失礼な言動を取ることをやめるようにお願いをする。

つまり相手を非難することはその相手との今後のつきあいを続けるか続けないかをその後の相手の態度で決定する必要があるからだ。

Aさんとの今後の付き合いをやめる場合、Aさんと親しい関係のある複数の知人との関係も場合によっては終わりにしないといけなくなる場合もある。

Aさんの誰かに対しての失礼な言動をAさんと親しい間柄の複数の人たちがこれぐらいは許容範囲だとか、非難に値しないと判断する場合もある。

しかし自分としてはAさんの言動は非難すべきであり、自分はAさんとの今後の付き合いを続けることは難しいと考えている場合、Aさんが言動を変えない選択をした場合、Aさんの言動を許容するAさんと親しい人たちとの関係も終わりにすることになる。

それはすべて自分の判断だ。自分がどう考えどう判断すべきかは自分の基準で考えるしかない。他者は他の考え方をするかもしれない。しかし自分の考えが他者の考えと違う場合、他者の考えを受け入れないのなら自分の基準で行動を決めるだろう。

こういう事例に関して一般的にどちらが正しいとかを問うても無意味である。すべて自分が自分の基準で決めることだ。

これくらいの言動で関係を終わりにされるなんて理不尽だとAさんが考えるかもしれないが、そのことを気にしていても仕方がない。

人が相手の言動によってつきあう人間関係の範囲を変えることはよくやっていることである。これは単純な話だった。実際自分のつきあっている相手の言動によって付き合い方を変えるだけの問題だった。だけどこの方法は人のつきあう関係者の数が少ない共同体だったときには簡単な解決方法だった。人が大規模な人数の共同体を作り始めるまでは簡単な解決方法だった。一人の人がどこまでの人を自分の関係者とみなすのか、自分と関係している人の数が厖大な人たちになる場合はどうしたらいいのか、その場合は問題が複雑で難しいものになる。

たとえばネットの人間関係はどう位置付けるべきなのか。ネットでだけつきあいのある相手に対してその人の失礼な言動はとがめだてすべきものになるのか。その言動次第でつきあいを続けるのか続けないのかを判断すべきことになるのか。Aさんの関係者がたくさんいすぎる場合はAさんとの関係を終わりにすることを選択する場合、一緒に関係を終わりにすべき相手はどれぐらいの数の具体的に誰と誰なのか?人はそんなにたくさんの人を認識できない。だから問題がややこしいことになる。