協力する機会の喪失

何人かで集まって協力して何かをやり遂げるための機会がないのが問題なのである。協力して何かをやり遂げることができたという精神的な満足感を満たす機会がない。だからなんだか生きていてもむなしい。集まって協力して何かをやり遂げる機会がある人もいる。それはだいたい何かをコツコツと続けていき、何らかの実績を積んだ人である。そのような人は周りの人から何かの能力を持っている人(実績からわかる)と認められている。能力のある人は何かをやり遂げたいという目標を持つ人たちからこの人に声をかけて協力してもらえれば自分の目標達成に貢献するだろうと思われる。だから協力を請われ協力する活動に参加する機会を得ることができる。何ができるかわからない人は声をかけてもらえない。何らかの活動に参加するために自ら動きその機会を探すことをすればよいのかもしれないが、具体的に関心を持つ活動を見つけられない場合、特に関心をひかれるものがない場合はどうしたらいいのか。そのような漠然とした不満感を持っている人がネットなどで自分の参加できそうなものを見つけるとすると、敵味方に分かれて争っているグループに吸い込まれてしまうことが起こる。敵側のグループの人たちをネットで叩く(つまり書き込むことをする)だけで参加できるのでやることもお手軽である。協力して何かをやり遂げる精神的満足感も得られる。仲間がいる気分になって気持ちがいい。そのような活動に夢中になって誰かを誹謗中傷するひどい行為に加担することになってしまう。自分がグループを作ってそのメンバーで協力して何かをやり遂げる機会がないことに不満があることには気づいていない。なぜ自分がこのような誹謗中傷活動に夢中になっていたのか後で我に返って(訴えられたりして)後悔することが起こる。