人間が共同体を作り維持すること

昔ながらの地縁共同体がなくなったとよく言われる。昔に比べて効率化が進んで人の縁が薄くなった。

人間が共同体を作ると当たり前のように言われているが共同体を作りそれを維持することは簡単ではない。かつて地縁共同体があった時代には自分がある共同体の一員であるということを確認するために、共同体のメンバーは仲間であることを確認する儀式を執拗に行っていた。共同体内の人間同士が親密に関係があるということを確認するために繰り返し繰り返し、現代の価値観では無駄であるように見える型にはまった儀式を本当にしつこく繰り返し交互に行うことをしていた。おそらく共同体というのは現代の価値観からしてみるに無駄としか思えない儀式を行うことでしか維持できない、維持にコストがものすごくかかるものなのだろう。

顔を合わせて何かを一緒に行う、昔ながらの祭りなどは顔を合わせて何かをすることを常に行うことをして共同体意識を保持していた。皆で一緒にすることは何でもいい。ただ顔を合わせて共同体意識を保持するために無数の無駄に思える儀式が積み上げられていく。これらの儀式を無駄と切り捨ててしまったら共同体は維持できなくなるのは当たり前だ。共同体の維持にはコストがものすごくかかる。効率的な資本主義の世界観と共同体維持の世界観はもともと相容れないものだ。

人間は無数の相容れないシステムを同時並立して運用している。