文章が読めない人々について

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を読んだ。上記の本は私も読んだことがある。文章が読めない人がなぜいるのかなのだが、文章に書かれた内容を正確に読み取ることができる能力というのは、今までは人間が生きていくうえで必要とされていなかったからではないのかと思う。

文章を正確に読み取る能力が必要とされていた人というのは、伝統的に学者さんのような長いテキストとつきあうことを生業としていた方々であったように思う。

それ以外の人々が生きていくうえでつきあっていかなければならなかったのは文章ではなくて、人である。人とつきあううえでコミュニケーションが取れればよかったのであったので、長い文章の読解能力が求められることは今まではなかった。なので文章を正確に読み解く能力が磨かれる機会がなかった。

どっちかというと一般の人が得意なのは文章を読んで、そこに書かれている内容を自分の都合のいいように曲解して自分に有利なように利用する能力ではないのか?一般の人々は人とつきあうことが生きていくうえで必要であり、ほかの人より自分の立場を有利にすることができるとお得である。そのために何らかの文章(権威があるように見えるもの)を利用して自分の立場を上にもっていくことができればよい。

だから文章を正確に読み解く能力ではなく、自分の都合のいいように曲解して自己主張に利用する能力が磨かれてしまっているのだと思う。磨こうと思って磨いたのでなく、結果的に磨かれてしまったという感じである。だから文章を自分の感情抜きに書かれているとおりにありのままに読もうとしてもとても難しい。