怒りについて

怒っている人と対峙して恐怖を感じて譲歩してしまうのは、怒りを感じている人に対して譲歩しなければ殺されると思うからである。怒りを表明するということは相手に対して対応を考えなければお前を殺すこともありうるという意見の表明である。なので怒りを表明している相手に対して譲歩することは自分の身を守るために正しい。しかしこちらもただではやられないぞ、対抗するぞと表明をして譲歩しない選択もできる。その場合命をかけた戦いになるだろう。誰が殺される結果もしくは傷つく結果になっても、同じ共同体のメンバーを害する行為をしたのでただでは済まない。共同体から追放されることもありうる。しかし怒りを表明したということは共同体から追放される結果を招いてもおとなしくすることができない状況までいっていることを示す。

つまり怒りを表明するということは命をかけた戦いに移行するという意味だった。

しかしあるときに命をかけた戦いになる覚悟もなく、怒りを表明すれば自分の意思を通せると考える者が出てきた。怒ったふりをして相手から譲歩を引き出そうとたくらむ者が現れた。ここからややこしくなる。

怒っている人を見たらば相手が戦いになる覚悟を持っている本気の怒りであるのか、単に譲歩を引き出すために怒っているふりをしているだけなのかを見分けなければならなくなった。人前で怒りを表明するのはよくないことであるという価値観をひろめて、怒りで譲歩を引き出す行為をやめさせようとする動きも現れた。対応が複雑化したのである。怒りに関してさまざまな考え方が出てきたのはいろいろな対応策を考える人が増えていったからであろう。