あらかじめ好みのタイプなどない

好きたタイプはどういう人ですか?という質問がある。しかしこの質問はおかしいのではないだろうか?人は誰かと知り合って交流をした後に、自分はこういう感じの人を好ましく思うのだということがわかるのであって、誰とも交流していない段階で自分が好ましいと思うのはこういうタイプだということをあらかじめわかっていることはできないのではないのか。

どんな感じの人たちがこの世界にいるのかはある程度何人かの人々と交流をしてからではないとわからない。毎日の生活の中でいろいろな場面でする人々の反応や行動を見てからこの人は好ましい感じの印象を受ける人だ、とか好ましくない感じの印象を受ける人だという判断が生まれる。そうして徐々に自分が交流をするのはこういうタイプの人だと居心地がよいという感情を持つだとか、こういうタイプの人だと居心地が悪い、不快な感情を持つだとかいうことがわかってくる。ある程度人との交流をしていかないと自分の好みなどわからない。自分にあうタイプの人がどういう人なのかということがわからない。ある人がある場面でどういう行動をする、どういう表情をする、どういう仕草をする、そういう徐々にわかってくる情報を元に好ましいと思う人のタイプが徐々に形作られていく。