現実主義者は影響力がないかもしれない

現実的に物事を考えて何ができるかを実行すべきだと考える現実主義者は影響力がないかもしれない。現実にできることというのは実にささやかなことである。自分が実際に行動してできるささやかなことを少しずつ積み上げて前進していくという道は、地道で目立たないし、進捗も非常にゆっくりである。しかしそのような地道で目立たず前に進んでいることさえ目視では確認しずらいようなことが実際にできることを実行することだ。

人はもっと明らかに物事が動いて見えるようなダイナミックで目立つことに注意をひかれる。現実主義者の地道な努力はつまらない。そもそも現実が嫌いだ。なんの努力もせずにもたらされるいいこと(宝くじのような)が好ましい。だから非現実的な理想論を振りかざすような人のほうがもてはやされる。嫌な現実から目を逸らさせてくれる非現実的な理想論を唱えてくれる人を歓迎する。ちやほやともてはやされ賞賛されるのは非現実的な理想論を唱えてくれる人たちなのである。非現実的な理想論を唱える人たちは歓迎され人気を集め、影響力を持つ。大勢の人たちが彼らをもてはやし真似をしだす。

そして大勢の追随者が生まれ、稀に非現実的な理想論である空疎な内容を真に受けて実際に行動する人たちが現れる。それが実際の物事を動かすきっかけになったりする。そこで意外なことに実際の現実に影響力を及ぼし、現実が変わっていく。実際の変革というものがもたらされる事態はこのように起こるのではないだろうか?

現実主義者の地道な努力ではない。非現実的な理想主義者の空虚な言葉が実際に真に受けられて実行されるとき現実が変化する。そのようにして人間社会は変化していったのではないのだろうか。