敵を作ると自分の仲間が誰なのかが識別できる

通常の状態だと自分を仲間だと思ってくれる人が誰なのかわからない。誰が敵になりうる人か誰が仲間になりうる人なのかをはっきり可視化しないと不安だ。

だからこの人は自分の敵であると誰かを名指しする。誰か特定の人を攻撃してみたりする。そうすると自分に賛同してくれる人と自分を非難する人が現れる。そこで誰が敵になりうる人か誰が仲間になりうる人なのかを識別することができる。

自分には仲間がいるのだと確認してそこで安心する。自分は一人ではない、孤独ではない、自分には仲間がいるのだと安心できる。

だから自分は一人なんじゃないか、孤独なんじゃないかという不安がもたげてきたら、誰かを敵だと名指しをしてみて、自分に賛同してくれる人を確認して、自分には仲間がいるのだと安心をする。それを繰り返す。

しかし本当に望んでいるのは自分が本当に危機に陥ったときに協力の手を差しのべてくれる相手だ。しかしそれは敵を名指しして自分に賛同してくれる人であるとは限らない。

ある人がこの人は自分の敵だと名指ししたら、多くの人は状況を読んで、その人を敵とみなしても困ったことにならないようだったら、その人を敵だとみなす状況に賛同してみせる。あるいはその人の味方である状況に賛同したほうが自分の立場が有利になりそうだと思ったら、その人の味方であるふうを装ったりする。それはそのときの状況次第だ。一時的なそのときの状況を読んでその状況に最適な立場を作るか、ある程度状況の推移を見越して今後の展開まで含んだ形で誰側についたほうが有利になりそうなのかで判断したりする。あるいは今の一時的状況だけで判断するにはリスクが高すぎると感じたら、ここでの意見表明を見合わせて様子をうかがっておくことにしたりする。

状況をどう読んだかで反応を返す。その時見せた人々の態度からその人たちの見せた自分の敵・味方の固定的立場がずっと続いてくれるとは予想できない。

自分が本当に危機に陥ったときに手を差し伸べてくれる相手は自分が行った敵・味方ゲームに参加してくれて自分の味方を演じてくれた相手から見出せるのだろうか。

おそらくそれは関係ない。自分が本当に危機に陥ったときに協力の手を差し伸べてくれる相手はそのときたまたまその気になった誰かから行われるだろう。

それはコントロールできない。自分が本当に危機に陥ったときに手を差し伸べてくれる相手をあらかじめ確保するための手段はない。