富は外からやってくる

人の集団には内集団と外集団がある。内集団内では資源はメンバーに再配分されるだけで内集団内では富は増えることはない。富は内集団が所有している土地などである。決まった大きさの土地で農耕をして自分たちが必要なものを収穫して手に入れて配分する。それが基本的な形である。自分たちの必要な分しか生産活動が必要ではない。

収穫する農地の大きさは決まっているので、そこで収穫できるだけの資源の制限が内集団の人口の制限になる。基本的に人口は増加することはなく、生まれた人数と死ぬ人数が一定で変わらない。もし人口が増えてしまうと資源の制限を超えてしまうので、資源をめぐる争いが起こり内乱が起こる。だから人口を一定に制限しようとする。

排他的な人間の性質は資源の制限があることから生じる。あれは人口の抑制を目的としている。資源に制限があるから人口を抑制するために排他的になる。そういう仕組みだ。

富が増えるとはどういうことか。それは内集団が外集団と経済的やり取りをするときに起こる。富は外部の共同体からもたらされる。内集団内の制限を超えて富を増やすことができるのは外集団と経済的やり取りをしたときだけだ。その場合内集団は内集団内で生産できる資源量を越えた人口を持つことができる。つまり人口を増やすことができるのだ。それが繫栄して人口が増えるときに起こることだ。

だから経済的やり取りをしている外集団が滅びてしまったりすると、そことの経済的やり取りをしていたから増えることが可能になった人口を養うことができなくなる(他に付随した諸々の産業ができていたわけだがそれも必要がなくなる)。そしてその内集団内で資源をめぐる内乱が起こったりしてその内集団も滅びの道をたどる。

富を手に入れるためには内集団内で内集団相手に経済活動をするより外集団相手に経済活動をするほうがよい。そのことに多くの人が気づいてしまった。

内集団内で内集団の人相手の経済活動がなぜ富がそんなに増えないかというと、内集団内では基本的に資源を再配分するという考え方が根強く残っていて、高い料金を取りにくいのではないのか。家族を相手にお金を取る気にはなれないだろう。内集団は大きな家族のような共同体のイメージが人にはある。

地方が衰退したわけは地方に住んでいた人たちが外集団との経済活動に携わるほうを選んで出ていってしまったからだ。

今はグローバル経済になったので、多くの人が外集団との経済活動をすることを選んで豊かになろうとしている。外集団との経済的やり取りをする役割を巡って競争が起こり、競争が激しくなっている。