表現をする動機

もし人が今十分幸せで自分の人生に満足しているのなら、その人は何かを表現しようとするだろうか。何か満たされない不満なことがどこかにあるから、何らかの表現をする行為に向かわされるのではないのか。それならばこの世界に多様な表現があふれていて、多様な表現を楽しむことができるのは、幸せではない人々が大勢いるおかげということになる。

もしある人が素晴らしく面白い内容の表現をすることができたとしても、その人が自分の人生に充実感を感じ満たされるようになったのなら、その人の表現は素晴らしいものではなくなってしまう。その人に素晴らしい表現を続けてもらうために、ずっと人生に満たされないものを抱えて生きていてもらうことを望むことになるというのはなんだか罪深いことのような気がする。