人は抽象概念をどう理解しているのか

人は抽象概念をどう理解しているのか。よく考えると謎である。猫とか犬とか具体的に目に見えるわかりやすい存在であるならば、自分と他の誰かが同じものを猫とか犬と見做している、同じような対象に同じような見方をしていることがわかると思う。しかし抽象的概念はどうなのか。たとえば国家や民主主義、人権など。目の前に具体的に見える存在ではない概念としてしか存在していないもの。それにも関わらず人はそれを他者と共有している。お互いに国家について話をすることはできるし、民主主義についても話すことができる。しかしお互いが国家という言葉に対してどのようなイメージを抱いているか、どのような具体的な内容をもったものとみなしているのかを知ることができない。

もし科学技術が発展して、人が抽象的概念について話をしているとき、脳に電極か何かをつなげて、その人が頭の中に思い浮かべている内容を3Dプリンタか何かに出力することができるようになったとしたら、どんな具体的な形状のものが作り出されるのだろうか。そのようなことをいろいろな人に対して実行することができるようになったら、同じ言葉で表現される抽象概念の内容がお互いに全然違うイメージであることが判明するのではないか、ということを空想してしまう。